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October 19101996

 日本シリーズ過ぎ行くままに命過ぐ

                           品川良夜

の句の味は、中年以降の野球ファンでないとわからないかもしれない。当たり前のことながら、日本シリーズは年に一度。テレビで試合を楽しみながらも、ふと自分はあと何回、シリーズを見ることができるのだろうと「命」の果てに思いが動いたりする。そうした思いを込めたこの句が、実は良夜の絶筆となった。品川良夜は、大脳生理学者の品川嘉也の俳号。戦後いち早く松山で刊行された俳誌「雲雀」の主宰者品川柳之を父にもった関係で俳句に親しみ、89年から「雲雀」を継承、右脳俳句を提唱した。92年10月24日没。したがって、句の日本シリーズは西武対ヤクルトである。なお、本稿の資料提供は百足(ももたり)光生さん。多謝。(清水哲男)


October 24101999

 日本シリーズ釣瓶落しにつき変はり

                           ねじめ正也

の親にして、この子あり。この子とは、熱烈な長嶋ジャイアンツ贔屓のねじめ正一君。お父上も、相当な野球狂だったらしい。「渾身の投球を子に木々芽吹く」。こうやって、子供を野球選手に仕立て上げたかったようで、実際、正一君を高校に野球入学させたところまではうまくいった。日大二高だったか、三高だったか。句であるが、息つくひまもないほどに「つき」が変わる熱戦を詠んでいる。が、「釣瓶(つるべ)落し」の比喩はいささか気になる。日本シリーズは秋に行われるので、「秋の落日は釣瓶落し」からの引用はわかるけれど、これだと時間経過の垂直性のみが強調される恨みが残る。野球というゲームの空間的な水平性が、置き去りにされてしまっている。たしかに「つき」の交代は時間の流れのなかで明らかになるわけだが、「つき」の変化が認められる根拠には水平性がなければならない。もっと言えば、時間が経過するから「つき」が変わるのではなく、空間が歪んだりするので「つき」も変わるのだ。でも、こんな理屈はともかくとして、句の「どきどき感覚」は捨てがたい。ちなみに、作句年は1990年(平成二年)。日本シリーズで、藤田ジャイアンツが森ライオンズにストレート負けした年である。『蠅取りリボン』(1991)所収。(清水哲男)




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